退屈日記

本や映画、ドラマについて

「ゾンビあるいは認識しがたい『現実』」について

雨。一日中降る。

ジー・イングアンソ「ゾンビ映画年代記」を読む。

いちおう「魔人ドラキュラ」(’31)「フランケンシュタイン」(’31)
あるいは「ジキル博士とハイド氏」(’31)の昔から始まり。

ジョージ・ロメロナイト・オブ・ザ・リビングデッド」(’68)が「ゾンビ」を確立。

「ゾンビ(「DAWN OF THE LIVING DEAD」」(’78)で復活し
女子の目に木片が刺さる「サンゲリア」(’79)が今となっては懐かしい。

同様に「スパイダーマン」の監督サム・ライミ死霊のはらわた」(’81)。
オムニバスだった「クリープ・ショー」(’82)。

そして83年にはマイケル・ジャクソンの「スリラー」の映像が登場。
監督は「ブルース・ブラザーズ」(’80)で認められたジョン・ランディス

再びジョージ・ロメロは「死霊のえじき」(’85)。
そういえば「オバタリアン」の「元ネタ」であるダン・オバノンバタリアン」(’85)も。

スチュアート・ゴードン「死霊のしたたり」(’85)もなかなか。
「ゾンビ伝説」(’88)、スティーヴン・キング原作の「ペット・セメタリー」(’89)など。

「デモンズ」(’85)「ブレイン・デッド」(’93)「バイオ・ハザード」(’02)。
「28日後」(’02)「アイ・アム・レジェンド」(’07)「ワールド・ウォー・Z」(’13)。

まあ大雑把な展開ではあるけれどあれこれ思い出せて楽しく過ごす。
今や「ゾンビ」も「ごく普通の存在」になって。

マル激を観る。

ラグビーを扱ったNコメと伊勢崎賢治をゲストに迎えた本編がともに明確にしているのは
「世界あるいはその現場」を知らないと「ニセの現実」しか見られないということ。

言われてみればこれまた至極当然のことであるにもかかわらず
実際にはなかなか難しいことだったり。

「『護憲派』と『改憲派』による結託」という視点は重要。
とにかくわが国ではあらゆるものが「歪む」ので。

少なくとも条文を読んでそのまま理解できる「憲法」が必要なことは確か。
どこかに「犠牲」を強いて「平気な体質」は「戦中」と変わらず。

「そういうことだったのか」とあらためて痛感。
あらゆる意味で「戦争」に関わるわれわれの「歴史」を見直す必要がありそう。