快晴。やや風が吹く。
白井聡「永続敗戦論 戦後日本の核心」をようやく読む。
「第一章第一節」のタイトル「私たちは侮辱のなかに生きている」が
ほぼ本書の「すべて」だと言ってもいいほど。
未曾有の震災と原発事故に際して政府は人々を救おうとはせず
電力会社もまた「想定外」という「インチキ」を盾に。
事故そのものが「収束」していないにもかかわらず「収束宣言」を出し。
事故処理の「現場」で働く人々の危険や健康被害も「無視」して。
そして「賠償・補償の主体」として敢えて生き延びさせたはずの東電は「責任」を逃れ
官僚機構は「復興予算の流用」をしたと。
このデタラメの限りを尽くした結果こそ
実は「敗戦」を認められない「無責任体制」にあるのだというのにふむふむ。
わが国があらゆる意味で「パラダイス」であることをあらためて。
著者が示したのは「まともな神経」があれば「バカバカしくて仕方ない」ということ。
マル激を観る。
「働き方改革」とやらが正社員も非正規も「奴隷」にするものだと知る。
「普通の暮らし」がここまで無視されれば長くは持たないことは明らかであるのに。
「豊かさ」とは「仕事」でない他の活動にも十分に関われる「ゆとり」があること。
もちろんそれを保障する賃金が支払われること。
子どもの頃から必要以上の部活や習い事のせいで「必死」なのが「日常」である現在
われわれはさらに「過労死」を「当然」だとする「環境」を再生産しているのみ。
そもそも住宅や教育環境などの「最低限」が保証されず
「個人の責任」にされている「異常事態」に気付けないのはなぜなのだろう。
別に何でもヨーロッパが「素晴らしい」わけではなく。
やはり「人権」というものにあまりに鈍感なせい。
繰り返すが21世紀になって「19世紀の貧困」を「再現」する愚かさよ。
何のために先人たちは「犠牲」になったというのか。
ネット上ではありふれた「ウヨブタ」が実は最大数パーセントに過ぎないにもかかわらず
いかにも「世論」だと受け止められている「誤解」にも敏感に。
ヒマな奴はどこでも何度でも「投稿」するだけ。
中身も何もない「自動機械=ロボット」として。
とりあえず「既成の右左」の判定はどうでもよろしい。
そろそろ「うんこのような現実」に気付かないとどうにもならず。
ゲスト竹信三恵子の「うんこ味のうんこ」という発言に笑う。
もはや「究極の選択」さえ許されない環境にいるらしい。
今や見ることのなくなった「バキュームカー」の出動が要請されているということで。
少なくともその種の「労働」をしている人々には「お茶」を出さないとどうにも。