退屈日記

本や映画、ドラマについて

3連休その2

くもりのち晴れ。出がけにパラつき深夜にも。

四方田犬彦編「ザ・グレーテスト・ヒッツ・オブ・平岡正明」を読む。

主な著作のキモを抜き取った内容。
編者は「喧嘩の流儀を見よ」と言うのだけれど。

本作は16年前に出ていて著者は8年前に鬼籍に。
「濃いキャラクターだなあ」というのが正直なところ。

「革命」を本気で考えるとここに至るのか。
「つまらんもの」をすべて「敵」だとする気風のよさよ。

敢えて「男根主義者」を気取る一方で「繊細な感覚」があちこちに感じられて。
梁山泊の豪傑ぶり」を感じさせる存在として「最後の人」なのかもなどと。

もっとも著者の魅力を十全に受け取れたとはとても思えず。
小林信彦橋本治筒井康隆山田風太郎夢野久作などについてはどうにか。

印象に残ったのは「留置所で居合わせた清さんの話」。
こういう人と実際に会っていると「視界」は否応なく広がらざるを得ず。

「国家」を否定する人がその一方で「国家に救われている人」を見るということ。
かつての「国家」にはそれくらいの「懐の深さ」はあった模様。

「心意気」に関しては右も左も関係なく。
「あらゆる感情は正しい」という言葉は「現実を受け止めること」だと「翻訳」しておく。

それにつけても。

稲田防衛大臣の発言を問題にするのはいいとして。
なぜ彼女がその「地位」を獲得するに至ったのかを考える方がずっとマシ。

そもそも「安倍一派」が「うんこ」であることなど当初からわかっていたはず。
にもかかわらず彼らが「権力」を手にした事実があるのだから。

なぜそんなことが可能になったのか。
そこが「肝心なこと」で今後も起きるであろう「同様の問題」はむしろどうでもいい。

少なくとも彼らを「支える感情」があったのだということ。
いやおそらく現在もあるのだということ。

そのことをきちんと受け止めないとどうにも。
無能の人」を「無能」だと言って満足するのではどうにもならず。

「リベラルの胡散臭さ」は「正しいこと」を言うだけで終わることだろう。
「現実の複雑さ」に対応する能力がないままに。

それも結局「カタルシスのなせる業」だとするならいわゆる「ウヨブタ」と大差なく。
「人を動かすもの」が何であるかあらためて考えた方がよさそう。