晴れ。だったはず。
墓参りに行く。
案外多くの人々が来ていることを確認する。
「残念な叔母」ともしばしお付き合い。
下の妹の子どもと喋り方が似ていると言われる。
向こうが勝手に似たということで。
「バカなオヤジ」が許せんと思う一点が譲れないのはなぜだろう。
おそらくは彼らの「バカさ」が多くの犠牲を強いたから。
それを体現しているのが「残念な叔母」だったりするのはいかにも皮肉なこと。
彼女の「悲劇」を知った上でもそれは許せないと思ってしまう自分とは。
ちなみに「バカ」というのは
「自分の無条件な前提」を全く疑いもなく主張する輩を指すのでよろしく。
どのようなかたちであれその種の「知性の欠如」を解消するためには
最低限の「理の尊重」がなければならず。
もっともこちらの「理の一直線」が「冷たさ」と受け取られて。
これもある種の「アルゴリズム」だと思うことにするか。
深夜原田眞人「クライマーズ・ハイ」(’08)をTVで観る。
ビリー・ワイルダー「地獄の英雄」(’51)の話が出てくるのを忘れずに。
ローカル新聞社の「権力関係」はよくわかるものの。
編集権と販売の対立というお馴染みの構図もあり。
このあたりはほぼ「20世紀前半」だったり。
「ダブル・チェック」というのがキーワード。
そのこと自体は「正しい」とはいえ。
ジャーナリストが無条件に「正しい」とは限らず。
このドラマには「無前提に対する疑い」が欠けている。
残念ながら共感できないまま。
「言語を絶する現場を見た人物の死」を利用するなどもってのほか。
そもそもジャーナリストには「ハイエナ」であることの覚悟がないと。
その種の感情が微塵も描かれていないのは「自己満足」と言うよりない。
何か根本的な「間違い」があると思わせる作品。
「親子の問題」を絡ませるラストにも疑問しか浮かばず。
繰り返すがどこか「壮大な勘違い」に基づいている感じが満載。
原作は未読なのでその違いについては評価しようがないけれど。
「未曾有の事故」を「特定の自意識」によって描いただけとしか思えない。
あまりに「現実の遺族」に失礼だと思わざるを得ず。
「地獄の英雄」を知っているはずの監督は
その作品からいったい何を学んだのだろうと思うのみ。