晴れ。夜遅くにスコール。
「酉陽雑俎1」読了。
南方熊楠の引用した内容を確認する。
ただしそれ以外に興味深いところがあるかと言われると微妙。
「不思議な話」はあれこれ。
当時の人々が信じたいのはどうやら「スーパーマン」で。
「途轍もないことをする人」がいるのだということ。
もっとも「白髪三千丈」の国のことだから話半分で。
「信じがたいゆえに信じる」という心の動きにふむふむ。
とりあえず本作を読み進めるのみ。
マル激を観る。
ゲストは元朝日新聞記者の鮫島浩。
かの新聞社が「ダメな組織」だという事実など。
要は「ジャーナリストとしての志」がないままに。
官僚や学者になれなかった者たちが「別の世界」で威張りたかっただけ。
この「圧倒的な貧しさ」を知っておこう。
おまけに。
「吉田調書」問題の「実質」たるや。
「昔気質」の社長が安倍に騙される「コミュニケーションギャップ」の結果だとは。
さらには「自分の責任」を取らずにごまかしたのだから。
宍戸錠ならずとも「ヒドさもヒドし」と言うよりなく。
新聞など読まなくてもネットで十分というのも忘れずに。
「人事」にしか興味のない野郎どもの戯言に付き合っているヒマもなく。
あらゆる分野で「既得権益」が「従来の常識」を維持する動きばかり。
全部消えてよし。
ジョシュア・オッペンハイマー「アクト・オブ・キリング」(’12)をようやく観る。
かつてインドネシアではスカルノ失脚後に「共産党員狩り」が行われ。
虐殺をした当人たちに当時の行動を再現させるというドキュメンタリー。
主人公はアンワル・コンゴ。
当初は生き生きとして過去を語っていた彼の行方がなかなか。
「他者を演じることの機能」をあらためて知っておきたいもの。
「わかってしまうこと」が否応なく訪れる模様。
同時に「人はかくも愚かになれるのだということ」も。
一度「敵」だと見なしたら何でも出来てしまう事実の怖ろしさを忘れずに。
「問答無用の殺戮」がそれを行う当事者たちに「能率」を求めさせることも。
「作業」になってしまうとそうなるのはアウシュビッツに同じ。